長崎大学 多文化社会学部多文化社会学科 教授 木村 直樹 先生
30分のミニ講義を聴講しよう!江戸時代、人はどうやって外国語を学んだか
江戸時代、日本社会が西洋科学を受け入れるためには、まず外国語を理解する必要がありました。講義ライブでは長崎でオランダ商館の通訳や翻訳を行ったオランダ通詞と言われる人々に注目して、どのようにして日本人が外国語を学んで行ったのか考えてみます。
「オランダ通詞」とは?
この学問にはどんな未来が待っていますか?
昔の人のオランダ語の勉強方法は?
江戸時代、人はどうやって外国語を学んだか
先生からのメッセージ
夢ナビ講義も読んでみよう古い時代の出来事から新しい発見を得て、未来へのヒントに
徳川幕府に大きな影響を与えた「島原の乱」歴史の授業で、「島原の乱」について学びましたか? 中学・高校では、「キリスト教弾圧によって発生した内戦」「天草四郎を総大将にした大規模な一揆」といった、戦いの概要しか習わないかもしれません。しかし、この内戦の経過を詳細に研究すると、武家社会の矛盾や幕府の政策問題、引いては貿易問題までもが見えてきます。教科書では、半ページにも満たない小さな出来事として扱われていますが、実はその後の幕府の政策に、大きな影響を与える事件だったのです。戦いを通じて浮き彫りになる江戸幕府の弱点島原の乱において、農民を中心とする一揆軍は3万数千人だったのに対して、幕府が差し向けた軍勢はのべ12万人以上で、圧倒的な軍事力の差がありました。ところが、最初の討伐軍は1カ月近く手こずったあげく勝てません。 戦国時代末期まで家臣を束ねていた各藩の指導者たちは、江戸時代になってからは、江戸に参勤していたため、藩内には「戦闘のリーダー」が戦闘が始まった時に不在で、寄せ集めの討伐軍は、戦意も戦力も低かったのです。 その後、幕府は江戸の有力老中を島原に向かわせますが、結局、4カ月もの長期戦を強いられたのです。古い時代の出来事に、未来へのヒントがキリスト教弾圧が原因と考えられがちな島原の乱ですが、実際には、過剰な年貢に対する農民たちの怒りが、この戦いの直接的な引き金でした。そして、農民たちの軍勢にさえ、幕府軍は大いに手を焼いたのです。この事件を機に、徳川幕府の農民政策は見直され、藩ごとの戦力を管理する方法にも変化が生まれました。キリスト教への警戒感もそれまで以上に高まり、布教を排除するためポルトガルとの交易を禁じます。 このように、史実を掘り下げて研究すると、数多くの新しい発見があります。古い出来事から、新たな発見や、現代社会にもつながる文化の共通点などを見出せる点が、歴史学の最大の魅力と言えるでしょう。先生からのメッセージ
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