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30分のミニ講義を聴講しよう! 「日本神話」の成立と国家の誕生

歴史は神話に始まります。古事記も日本書紀も冒頭は神話で、それは古代人が未開だったからでも、迷信深かったからでもありません。それを語る力こそが国家を形成する力だったからです。では神話を語る力とは何か? 日本神話の中に探ってみましょう。

受講した高校生のコメント

先生からのメッセージ

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高校時代は与えられた知識をどれだけ吸収できるかが問われますが、大学生になると何もないところから「自力でテーマを見つける力」が問われます。しかもそれを自分で解き明かす、自問自答の能力が大切になるのです。
「学問の対象からテーマを切り取る感性を磨き」「世の中で自分の感性を維持し」「発展させて鍛える主体性を持ち」、その上で、「世界の最先端の知識を学んで自分のものにする学力を身につけて」こそ、優れた研究や専門家になれるのです。

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夢ナビ講義も読んでみよう なぜ奈良に都があったのか? 歴史の常識を問い直す

都はなぜ日本海側に存在しないのか? 2000年の歴史をさかのぼっても、日本の「都」は常に太平洋側に近い地域にありました。日本史では、中国大陸からの文化が朝鮮半島を経由して北九州に入り、日本中に広がったとしています。ならば都は北九州や本州の日本海側にあってもいいはずなのに、そんな史実はありません。古代から黒潮に沿った太平洋側の交通が日本海側の交通にもまして重要だったので、都が太平洋側の交通と接していないと国づくりに不便だったからと推測できます。 実は2つの「海」へと通じていた大和国 では、6世紀になぜ大和国(奈良県)は、内陸の飛鳥地方で都づくりを始めたのでしょう。その謎を解くカギは当時の交通です。太平洋の黒潮に沿った海路はとても危険だったため、迂回ルートが発達しました。北九州から瀬戸内海に入り、和歌山で紀ノ川をさかのぼって内陸を川づたいに伊勢湾に抜け、そこから太平洋に出て関東平野や東北へと達するルートです。大和国は内陸でそのルートに接する極めて重要な位置にあり、しかも日本海側の交通にも便利な場所にあります。琵琶湖という大きく開けた天然の交通路を通れば、大和国から日本海へ抜けるのは比較的容易だったと考えられるのです。 邪馬台国の場所の論争に終止符が? 大和国と日本海とのつながりは、東大寺の「お水取り」にもみられます。二月堂の井戸から汲み上げる水は、福井県の若狭小浜にある遠敷川(おにゅうがわ)から送られてきます。その風習が1300年も続いていることが、いかに大和国と日本海の絆が深いかを物語っています。
邪馬台国がどこにあったかの論争は長く続いていますが、『魏志倭人伝』に記された朝鮮半島から邪馬台国への道程が、博多付近から瀬戸内海を進まずに日本海回りだったとすると、日程的にちょうど大和国に行き着き、「邪馬台国=大和国」説が成り立ちます。学問とはこういうもので、常識と思われていることに疑問を持つことから、新たな知見の扉が開かれるのです。

先生からのメッセージ

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高校時代は与えられた知識をどれだけ吸収できるかが問われますが、大学生になると何もないところから「自力でテーマを見つける力」が問われます。しかもそれを自分で解き明かす、自問自答の能力が大切になるのです。
「学問の対象からテーマを切り取る感性を磨き」「世の中で自分の感性を維持し」「発展させて鍛える主体性を持ち」、その上で、「世界の最先端の知識を学んで自分のものにする学力を身につけて」こそ、優れた研究や専門家になれるのです。

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奈良女子大学
STEAM・融合教育開発機構
教授 小路田 泰直 先生